『実は、会ってほしい人は、』
お化け屋敷を出た後に美影から伝えられたのは、一緒に会ってほしいと言われた相手の正体だった。
今現在。午後二時。通路に設置されているソファや木のベンチにぐったり身を委ねていらっしゃるおじさんたちとは裏腹に、元気いっぱいな若者やおばさま方の笑い声や話し声がそこかしこから耳に次々と突っ込まれていく中。
「今日は美影と一緒にお化け屋敷に入ったんですけど、美影がお化け役やっているひとたちに何かを渡し歩いてたんですよ。お化け役の人たちもきょとんとして」
目の前の相手に高校の時や今日の出来事をかいつまんで話していた俺は、きっとこの空間に溶け込めていると思うけど。
「あ。ちょっと待って。私。美影ちゃんが何を渡したか当てるから」
この二人は違う。
静かなんだ。
別に俺だけがしゃべっているわけじゃない。
丸いテーブルを囲んで座っている、目の前の女性。そう。高校二年の文化祭に乱入してきた人、藍子(らんこ)さん。も、明るい声で、すごくよくしゃべる。なのに。周りに溶け込めていない。
(美影は、近所のおばさんだって言ったけど)
幼い子どもを早くに亡くして、精神に異常をきたしてしまい、時々美影を実の娘だと思い込んで、取り乱してしまう人。
普段は明るくて優しい人なのだと、美影は言う。
俺は、二人は本当の親子なんじゃないかと疑っている。
今日、揃っている二人を見てそう思った。
だって、雰囲気が似ている。目元も、なんとなく、
「分かった。お札、とか?早く成仏できますようにって」
両手を合わせて、自信満々に告げてくる藍子さんに、俺は苦笑して、残念でしたと答えた。
「塩飴ですよ」
「あ。そっか。さすが美影ちゃん。お塩だけじゃ可哀そうだと思って飴にしたのね。やっぱり優しい。なのに、うちの旦那ときたら」
言葉を挟む暇もなくすらすらと述べたかと思えば、ぶすくれた表情を浮かべる。
感情がこうも素直に表に出るところはあまり似てないかもな。
バイブ音がするスマホを取り出し、表示を見るや、藍子さんは溜息を出した。
「美影ちゃん、ごめんね。そろそろ行かないと」
「いえ。会っていただいてありがとうございました」
「ううん。それはこっちの言葉」
立ち上がった藍子さんが美影から俺へと視線を映したので、俺も立ち上がって、軽く頭を下げた。
「渚君、だったわね。本当はもっといっぱいお話ししたかったんだけど。旦那がうるさいのよ。自由になる時間が少なくって」
しょうがない。不満と許容と、喜びと悲しさが入り混じった微笑は僅かな時間。
わざとらしいほどに姿勢を正した藍子さんは、深々と頭を下げたかと思えば、勢いよく頭を上げ、無邪気な子どものような笑みを向けた。
「ちょっとだけ、逃避行に付き合って」
と同時に、俺の腕を掴んだかと思えば、ぐいっと身体を引っ張って、気付けば、藍子さんと一緒に全力疾走していた。
「美影ちゃん。ね。大事にして」
明るい声。明るい笑顔。なのに。静か。
この違和感は何なんだろう。
気圧される。
走ったのはものの数分。人気が今はない階段付近で止まったかと思えば、藍子さんは俺の目を真っ直ぐに見てそう伝えた。
やっぱり、と思う気持ちと。
ほんのちょっとだけ、違うんじゃないかという気持ちが入り混じって、ぐちゃぐちゃの黒鉄が頭の中に急転降下してきやがって、思考を塞ぐ。
だからこそか。そんな事を言う資格はないって、ごちゃごちゃ考える事も許してくれない俺の頭は至ってシンプルな答えを口に出す。
素直な気持ちだ。
「大事にしたい」
大事にしたい。
この気持ちに嘘偽りはないのに、
どうしたらいいのか、さっぱり分からない。
「……あなたは、」
「藍子!」
驚いた表情は、聞き覚えのある男性の声で、悪戯がばれたように、ぶすくれて、でもちょっと反省しているかのような表情へと瞬時に変わった。
能面みたいだ。
どうしてか、失礼過ぎる感想を持ってしまった。
「一時間だけだと約束しただろう?」
「はいはい。申し訳ありません」
藍子さんは旦那さんに向かい合うと深々と頭を下げて、旦那さんが俺に何かを言う前に、じゃあ行きましょうかと背中を押し始めた。
「渚君。また会いましょう」
後ろ姿のまま、藍子さんは片手をひらひら動かしながら、もう片手で旦那さんを押し続けてこの場を立ち去って行った。
「美影」
「悪い。迷惑を掛けて。会う時は、友達と一緒の方が安定しているから」
「いや、全然」
友達の単語に、ほんのちょっと。ほんのちょっとだけ胸が痛んでしまった。
二人が立ち去って、間もなく。美影が現れた。
申し訳なさそうにしている美影を見て元気づけようとして、でも、なんだかすごく疲れて、笑みが弱弱しくなってしまった。
別に意図したわけじゃないけど、美影の顔から視線を下げれば、両手にはアイスが握られていて。美影一人で食べるのかなと思っていたら、片方をぐいっと差し出された。
色から見て、マンゴーと紅茶。美影のはバニラとサイダー。二つともワッフルコーン。
「要らないなら「要る!」
片手を勢い良く上げて、片手で受け取る。
ほっとしたのは、きっと二人とも。
座って食べようと、さっきとは違う、並んで座れる木のベンチへと向かった。
身の内に宿る花のひろうは幾許か
『お金は要らないと言っただろう』
『…ほんの少しでも、返していきたくて』
『…頼むから、必要以上に関わろうとしないでくれ。最近になって、ようやく落ち着いてきたところなんだ』
『申し訳ありません』
『…分かったら、金輪際送るな』
『はい』
『……また会いたいと言ったら連絡する。じゃあな』
『…はい』
「…重くなっている」
瞬間。叩きつけたいやら、泣きたくなるやら、訳の分からない感情に翻弄される。
けれども支配はされない。
数秒後には、気持ちは落ち着いていた。なので、お金が入っている封筒をバッグに入れて、代わりに財布を取り出し、アイスクリームを買いに歩き出した。
(2017.8.29)